忠臣蔵 大石内蔵助の遺書が発見される

私が大好きな時代劇の一つの「忠臣蔵」。浅野内匠頭が吉良上野介による度重なる嫌がらせにブチギレてしまい、江戸城松の廊下で浅野が吉良をぶった切ってしまい、浅野は赤穂藩は取り潰し、吉良はお咎め無し。それにブチギレた赤穂浪士達48人が吉良邸に討ち入り復讐を果たすというお話ですね。

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忠臣蔵 大石内蔵助の遺書公開 討ち入り前日に記す。

参照元:共同通信社

「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が討ち入り前日に心情をつづった手紙が残されていることが分かった。遺書に当たる「いとま乞い状」で、3日から徳島城博物館で展示される。1955年ごろに東京などで展示されていたが、その後、所在が分からなくなっていた。手紙は縦約17センチ、横約75センチ。日付は討ち入り前日の元禄15(1702)年12月13日付だった。徳島藩家老の子で、浪人中の大石に資金援助した三尾豁悟宛てだった。手紙には、討ち入りの経緯や決意が記され「吉良邸に討ち入ることになった。志のある48人が妻子や親類の後難を顧みず、あだ討ちを行う所存」との記述もある。

私、忠臣蔵って大好物なんですよね。浅野内匠頭と吉良上野介と大石内蔵助と堀部安兵衛の配役で面白いかどうか決まる分かりやす―い時代劇です。特に、吉良上野介がどれだけムカつく演技をするかで面白い忠臣蔵かどうか決まると言っても過言ではありません。私は津川雅彦の吉良上野介が好きでした。

大広間の畳替えの指示や、全員集合の時の衣装など、度重なる吉良上野介の嫌がらせに耐えに耐えた浅野内匠頭。それでも我慢の限界で江戸城松の廊下で吉良上野介を浅野内匠頭が切ってしまいます。有名な刃傷松の廊下事件ですね。

この事件で浅野内匠頭は切腹、吉良上野介はお咎め無し。「喧嘩両成敗」が原則だったこの時代に、本懐を果たせなかった浅野内匠頭の家臣団が復讐を決意し、赤穂藩取り潰しの屈辱に耐え、ついに吉良邸にて吉良上野介を討ち取るという復讐劇。

吉良上野介も赤穂藩の復讐に備えて屋敷の警備を強化したりしますが、策士大石内蔵助は1年以上かけて「昼行燈」と呼ばれるほど「復讐なんて興味ありませんよー」という態度で日々を送ります。

そしてついに来たれり12月14日。この遺書は12月13日に書かれたそうです。

この物語にでてくる陰の赤穂藩支配者、浅野内匠頭の正室である瑤泉院が大石内蔵助以下、48名の赤穂浪士達が吉良邸に討ち入りに入ることを知るのは当日であるという脚本が多いです。

そのときに大石の手紙を読んで多いに涙し、瑤泉院の部下たちとともに一晩中菩提に向かってお経を読むというシーンが涙をそそります。

その手紙が発見されたということですね。

実に興味深い。江戸中期の話なので正直手紙に何が書かれているのかは現代人の私には読めないでしょうが、忠臣蔵ファンとしては一度見てみたみたい逸品です。

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